白浜

関西屈指のリゾートとして有名な白浜町。
歴史的にも古くから登場し、西暦657年に有間皇子の訪問が日本書紀に記され、翌年には斉明天皇、文武天皇の行幸が記録されています。

白浜温泉は、有馬温泉、道後温泉とならんで「日本三古湯」と称されています。

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観光地となるまで

しかしながら、現在の湯崎地区(鉛山村)は湯治としては開かれていましたが、観光が一般化する江戸時代まで、観光地と呼ぶには程遠いところでした。

江戸時代には鉱山で賑わっていましたが、温泉を生業にできる時代が来るまでは、もう少し時間が必要でした。

その白浜を観光地とする大きな後押しとなったのが、第一次世界大戦でした。

国内は輸出が急増し、空前の好景気を迎えます。

大阪などの大都市では、近隣のリゾート地よりも、遠距離の宿泊旅行へとシフトしていきました。

さらにそこへ、1919年、紀伊半島に鉄道敷設の案が国会で可決され、白浜温泉がリゾート地として注目されるようになりました。

そして、「白浜温泉開発の父」と呼ばれた小竹岩楠が、1912年、ボーリングによって初めて旅館内に内湯を完成させ、ここから一気に温泉を楽しむスタイルが変化しました。

その後、白良浜から綱不知にかけて、かつては温泉とは縁がなかったところでも温泉を掘り当て、計9か所の温泉井戸を持つにいたりました。

昭和天皇の行幸

株価の暴落や関東大震災でリゾート開発計画が全国的にストップしていましたが、1929年の昭和天皇行幸が白浜を蘇らせました。

連日新聞で大きく報道され、瞬く間に白浜という地名が全国的に有名になりました。

昭和天皇の目的は、京都帝国大学瀬戸臨海実験所(現・京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所

陛下のお召艦は戦艦長門。

南方熊楠はこの艦内で25分に渡り、昭和天皇に粘菌や生物についてご進講申し上げ、粘菌の標本などをご進献します。

この時にキャラメル箱を用いたはあまりにも有名です。

昭和天皇行幸のあと、白浜は猛烈に観光地として発展していきます。

白良浜

毎年約60万人が訪れる一大海水浴場。
ハワイのワイキキビーチとも姉妹提携を結んでいます。

白浜が観光地として発展したあと、各地で様々な開発が行われました。

白良浜も1932年にサンドスキー場が開場したという歴史があります。

現在はトライアスロン大会、ライトアップ、花火大会など、年間を通して様々なイベントが開催されています。

三段壁

長さ2km、高さ50~60mの断崖絶壁。

魚の群れを見張る監視場(見壇・みだん)があったとされていることから「三段」に転じたと言われています。

1956年当時には、展望台には柵も何もなく、観光客は恐る恐る下を覗いていました。

また、観光客は素焼きの瓦を買い、「亜米利加の彼方へ厄除け瓦投げ」として瓦を投げていたそうです。

三段壁洞窟では、黒潮洗う豪快な波しぶきを間近で見ることができます。

三段壁洞窟
洞窟内に祀られている弁財天

千畳敷

円月島、三段壁とともに、国の名勝に指定されています。

千畳敷は、砂岩からなるスロープ状の岩盤で、波の浸食により、複雑な地形を呈しています。

「日本の夕日百選」にも選ばれ、夕暮れ時には多くの観光客が夕日を見に訪れます。

また、近くの洞窟はユビナガコウモリの繁殖地として知られ、夏の夜には多くのコウモリが飛んでいる姿を見ることができます。

白浜町内で一番風が強い場所なので、車のドアの開閉や、帽子などを飛ばされによう、十分ご注意ください。

円月島

正式名称は「高嶋」

南北約130m、東西約35m、高さ約25m。中央に海蝕洞があり、それが「円月島」の名の由来となっています。

春と秋にはその海蝕洞に夕日が収まる姿を見ることができ、千畳敷とならんで屈指の夕日スポットとして知られています。

番所山付近

番所山はその昔、異国船などを監視する狼煙場があったことから名付けられたとされています。

以前は大食堂、植物園、動物園などがありましたが、現在は遊歩道が整備され、リニューアルされた南方熊楠記念館があります。

遊歩道から鉛山湾と田辺湾を一望することができる絶景スポットです。

番所山のふもとには、グラスボート、瀬戸臨海実験所(京都大学白浜水族館)などがあります。