日本語を学ぶことは「異文化接触」
「水に流す」「水をさす」「水くさい」日本にはなぜ、水にまつわる表現が多いのでしょうか?
こういった「水絡み」の表現というのは世界共通ではなく、むしろ日本語独特の表現なのです。
俳句と墨絵からも、日本人独特のコミュニケーションのスタイルが見えてきます。
俳句も墨絵も日本の文化ですが、これらの文化と言語は表裏一体の関係、コインの表と裏のように切り離せない関係にあります。
日本語を母語としている私たち日本人は、このことに気づきません。
しかし、日本語を外国語として学ぶ外国人には、この水にまつわる表現の多さに驚くと言います。
まさに、日本語を学ぶということは、外国人にとって「異文化接触」なのです。
これは、私たちが英語を学ぶ時の英語圏の文化や表現に接する時とよく似ています。
例えば、日本ではあまりにも簡単なことを「朝飯前」「楽勝」などといいますが、英語では「a piece of cake」、つまり「一口でパクっと食べられる」という風に表現します。
「内輪の恥」は「dirty laundry=汚れた洗濯物」と言ったりします。
日本語では考えられない発想です。
このように、私たち日本人が英語を学ぶ時、私たちと違った考えからくる表現が多くあります。
外国人が日本語を学ぶ時、やはり同じようなことを彼らは体験をします。
日本語を外国語として見た時、新たな発見があります。
私たち日本人が気づかない、外国人ならではの発想。
それを知ることにより、日本語が改めて興味深い言語なのだと気付かされます。
「日本語を話せる」≒「日本語を教えることが出来る」ではない!
「日本語を話せる」は、必ずしも「日本語を教えられる」ということではありません。
いえ、おそらくほとんどの方は教えられません。
もし、あなたが日本語指導に興味を持たれているなら、熱意や積極性だけでは不十分です。
それには技術や知識などの裏付けが必要です。
それらを独学で身につけることは、泳ぎ方を教わらずにプールに放り込まれるようなものです。
いずれ泳げるようにはなるでしょうが、きちんと泳ぎ方を教わった人と比べればかなり遠回りになるでしょう。
それにはやはり、きちんと技術や知識を学ぶ必要があります。
例えば、私「は」と私「が」
この助詞の使い分けを、あなたは説明できますか?
私たち日本人は「感覚」で日本語を身につけているため、こういったことがうまく説明できない人が多いのです。
「おみやげ」と「差し入れ」の違いは?
外国人が日本語を学ぶ時、異文化体験が大きな壁となることがあります。
その異文化を学びながら日本語を習得する大変さというのも、日本語を「外国語」として見た時に実感することができるでしょう。
そうすることにより、学習者に寄り添った指導ができるのではないでしょうか?
今回、日本語教育の第一人者・谷山徹先生をお招きして、日本語にまつわる表現方法や日本語指導につてなど、様々な話題について分かりやすくお話をしていただく講座を開催いたします。
日本語指導に興味のある方はもちろん、日本語指導に興味がない方でも、少しでも内容に興味を持たれた方は是非お気軽にご連絡ください。
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