湯浅

240412105120166

湯浅は古代より、熊野参詣において上皇・法皇・貴族が滞在する宿所でした。
醤油発祥の地として知られており、紀州藩の手厚い保護を受けて販売網が藩外にも広がり、19世紀初頭には92軒もの醤油屋が営業をしていたと言われています。
また、醤油醸造など商工業の発展があった街並みは、その歴史的風致を今日までよく伝えていることから、国の「重要伝統的建造物群保護地区」に選定されました。

大仙堀

「しょうゆ堀」とも呼ばれ、醤油やその原料の積み下ろしで賑わっていました。
醤油醸造蔵から直接小船に積み込まれた醤油は、沖に停泊している大型船に積み替えられ、各地へと出荷されていきました。
1915年に有田鉄道が開通し、貨物専用の線路がこの堀の埠頭の端まで架けられました。
1944年には線路が撤去され、その後鉄道が道路に変わり、浜も埋め立てられ、現在の姿になっています。

角長(かどちょう)

1841年創業。職人蔵と醤油資料館では、当時の醸造用具や資料が展示されています。

甚風呂

江戸時代から1985年まで営業をしていた銭湯。昔は「戎湯」と呼ばれていましたが、経営者の名前から「甚風呂」と呼ばれるようになりました。現在は、昔の生活様式を伝える民俗資料館として公開しています。

旧栖原家住宅

かつて醤油醸造を行っていたこの建物は、湯浅における明治初期の主屋建築のの代表例で、醤油醸造の様子を資料などによって公開されています。

津浦家

かつては醸造に用い麹の製造を行っていました。
1854年の安政の地震による津波で被災したため、当地に移転して営業を続けました。
主屋は1878年建築。
現在は麹文化の資料館として公開しています。

北町茶屋いっぷく

江戸末期頃の民家を改装した茶屋。